物語を新しい価値へ。心を動かす映像プロモーション

NORIZO CINEMA

僕が《しまねグラフィ》を綴る理由

島根県松江市で育った僕にとって、この土地はただの故郷ではありません。川の流れや宍道湖の夕日、商店街の賑わい、そして地元の人々との関わり。そうした日常の断片は単なる風景ではなく、幼い頃から僕の心に深く刻まれ、価値観や生き方そのものを形づくってきました。

例えば、宍道湖に沈む夕日を眺めながら友人と語り合った記憶や、地元の祭りで大人たちに混じって汗を流した体験。それらは僕の感性や考え方に確かな影響を与えてきたのです。

だからこそ「SHIMANEgraphy」という言葉に込めたいのは、単なる映像作品を作ることではありません。島根という風土と、そこに息づく人々の物語を切り取り、未来へと繋げる営みそのものを表現したいのです。

いわば、映像という手段を通して“島根の今を生きる証”を刻み込み、次の世代へと受け渡していく。それは郷土への感謝の表現であり、同時に「島根はここに確かに存在している」というメッセージを未来へ残す行為でもあります。


島根で育ったからこそ生まれた地元愛

松江市での少年時代。何気ない日常の風景に囲まれながら過ごす中で、僕は自然と「島根の人間らしさ」に触れてきました。都会のような便利さや華やかさはなかったけれど、その代わりにあったのは人と人との距離感の近さ、困ったときには自然と助け合う文化、そして世代を超えて静かに受け継がれていく伝統でした。

たとえば、近所の人から野菜を分けてもらったり、行事の準備を地域全体で行ったりする光景。そうした一つひとつが当たり前の日常でありながら、心に深い安心感を与えてくれていました。

やがて進学や仕事を通じて島根を離れたとき、初めて気づかされました。「都会にはない豊かさが、自分の育った場所にはあったのだ」と。人間関係のぬくもりや、地域に根ざした暮らし方こそが、僕の誇りであり、原点なのだと実感したのです。その気づきが、今の僕の活動に強く結びついています。

地元を外から見つめ直すことで、島根の価値はより鮮明に、そして誇らしいものとして映るようになりました。

松江市の永遠のシンボル「松江城」


母の逝去で揺らいだアイデンティティ

一昨年前、母親が亡くなったとき、心の奥底が大きく揺さぶられました。その瞬間にふと考えてしまったのです。「もしこの先オヤジもいなくなったら、俺は島根に帰る理由がなくなるのか」と。

親という存在が与えてくれていた“帰る場所”の意味が一気に薄れてしまったような感覚に襲われました。その喪失感は言葉にならないほど大きく、心の拠り所を失ったように感じました。

けれども同時に、自分に問い直さざるを得ませんでした。「島根は、自分にとって本当に何なのか」。

その答えは驚くほどシンプルでした。島根は僕の“ルーツ”であり、血の中に流れているアイデンティティ。親の有無に関係なく、僕の中に息づいている存在だということです。たとえ物理的に帰る理由がなくなったとしても、心の中で島根は消えない。

その確信が、映像を通じてこの土地との繋がりを目にみえる形にして残したいという強い思いに変わっていきました。

亡き母と一緒に願いを込めた「願い玉」


同級生たちの活躍が背中を押す

高校時代のクラスメイトの多くが、今は県庁や市役所といった行政の場で働いています。東京事務所で勤務する方もいます。

彼らが取り組む姿を見るたびに、「島根をもっと良くしよう」という気概が伝わってきます。彼らは現場で汗をかき、地域社会の課題と真剣に向き合い、未来を築こうとしている。その姿は刺激であり、誇りでもあります。

そのとき僕はふと気づきました。自分の世代が、すでに島根社会の中心を担う年代になっているのだということに。かつては未来を語るだけの立場だった僕たちが、今は現実を動かす存在になっている。その流れの中で、僕にできることは何かと考えたとき、答えは自然に見えてきました。

それは“映像”という手段で、人や地域のストーリーを切り取り、それを広げていくこと。

そして同時に思うのです。僕は今、東京で仕事をしている。だからこそ見えること、わかることがあります。

都会でのビジネス感覚や、映像を価値に変えるノウハウ。島根に暮らし続けていたら気づけなかったであろう視点を、僕は外からの立場で得ることができました。

つまり、地元の仲間たちが現場で地域を動かすのなら、僕は東京から学んだ経験を武器にして、それをビジネスの形にし、映像を通じて広げていく。そうした役割を担えるのだと。


今だからこそ、自分にしかできないこと

これまで映像制作に携わり、数々の現場を経験し、クリエイティブをビジネスに変えてきました。

その過程で学んだのは、映像はただ撮るだけでは人の心に届かないということ。映し出す相手の想いを理解し、それをどう表現するかを考え抜かなければ、真に価値のある作品にはならないということです。

若さだけでは成し得なかったことも、経験を積み重ねてきた今だからこそ見えるようになりました。だからこそ確信しています。今の自分だからこそ、島根のために動けるのだと。

「SHIMANEgraphy」は単なる映像記録ではなく、未来の島根社会を支える世代に向けた“文化のアーカイブ”であり、“共感を生むメディア”です。

これは、僕の人生で培ってきたすべてを注ぎ込むに値する挑戦であり、島根への恩返しの形そのものでもあります。

幼少の頃何度も訪れた「揖屋神社」


おわりに 〜この想いを届けたい人へ〜

僕にとってSHIMANEgraphyは、単なるプロジェクトではなく「人生そのもの」です。

島根で生まれ、家族を通じてアイデンティティを揺さぶられ、仲間の活躍に触発され、そして自分の経験と技術を注ぎ込める年齢になった。

すべてが積み重なり、今の僕を突き動かしています。これまでの時間がすべてこの取り組みのためにあったのだと感じるほどに、今の自分には揺るぎない使命感があります。

だからこそ、この想いを共有できる人と出会いたい。島根をもっと伝えたい、未来に残したいと願う人。地域の魅力を形にして発信したいと考える人。そうした方々と共に歩んでいけたなら、これほど嬉しいことはありません。

「映像で島根を描くなら、NORIZOに頼もう」

そう思ってもらえることこそが、僕にとって最大の喜びであり、生涯をかけて追い求めたい目標です。